桃の節句
2011年 03月 03日
真冬並みの寒さだが、空はどこまでも青く、降り注ぐ陽光は春の輝きに満ちている。
今年は、「お雛さま、飾ったの?」と母に聞かれる前に、お内裏様とおひな様を出して飾った。
娘たちが成長してからは、7段飾りをする体力も気力も目的も失せて、最近は簡素化&省力化を決め込んでいる(=手抜き)
こちらは、次女の初節句のときの写真。
左側の白い割烹着姿の女性は、私ではありません。
母です。言うまでもないけど(笑)
「二番目の子供だからって、雛人形を買ってやらないのは可哀想だ」
と父が言い出し、苦慮?した母が雛人形の代わりに、フランス人形?たちを買ってくれた。
子供たちに着物を用意し、着せてくれたのも母だ。
私に万が一孫ができても母と同じことはできないなぁ~。
長女5歳7ヶ月。次女6ヶ月。
次女は何を銜えているのかねぇ(笑)
写真を見ながら、当時を懐かしんだ。
子供たちは幼く、大人たちは皆若かった。
私にとって、一番忙しい時代だった。でも、一番いい時代だったかもしれない。
今日は、チェリーとふたりでひな祭り~♪
チェリーだって、女の子だもんね。
by masayama-chan | 2011-03-03 18:11 | Comments(8)
お嬢様たちは可愛らしいし、お母様もすごく美人。
みなさま、とても幸せそうだわ。
うちはいつも3月3日の夜になるとお雛様をしまっていたので(だんなが)、そのせいかすぐに片付きましたが、嫁に行った今年はしばらく飾っておこうと思っています。
お母様もお孫さんたちに色々して上げられて
お幸せだったでしょうね。
お母様はお幾つの時ですか?
割烹着姿が懐かしいわ。私の母も
何時も真っ白な割烹着をつけていました。
私も、今日早速しまいました。まだ、下の娘がいるので。
といいつつ、結婚はいつでもいいかなぁ~と内心思っているの。
早くても遅くても、してもしなくても。なんていう母親か、と言われるかしら(苦笑)
母もこのころは若かったわね。今では、すっかりオバアサンだけど。人のことは言えないか(汗)
孫からは「おばあちゃん」と言われてたし、私も当時は母のことを「おばあさん」だと思っていたけど、今こうしてみると若い!
自分が歳をとったから、そう感じるんでしょうね。
着物を着て白い割烹着をつけている姿は、いいものですね。まさに、日本のお母さん。
そして、すごい立派なおひな様。うちのはもっとずっと小さいけど、今年は娘もいないし、出さずに終わってしまいました。小さいひな人形は2つほど出したままだけど。
毎週のように母に会っていると、今の姿顔があまりにもリアルで、このころの輪郭はぼやけてしまっています。
この一ヵ月後の4月から、次女(S子)は保育園に通い始めたのだけど、N子とは別の保育園に入園(もちろん、K布田保育園を希望したのだけどね。ローカル話ですこと)
保育園の送り迎えは、母がS子担当、私はN子担当。そのため、母は、毎日朝早く我が家にきてくれました。
母がいなかったら、仕事を続けることはとても出来なかったと思います。
なのに、その感謝の気持ちをよく忘れていますね(反省)
そしてお母さま、マサさんと雰囲気似てる(親子だし当たり前だけど)
やはり上品で綺麗な方ですね!
白い割烹着が懐かしい時代ですよね。
うちにも大きなお雛様があったけど家を建て替えるときに義母が全部売ったのよ。
そしたらその後から娘が生まれたの。
せめてお雛様とお内裏様だけでも置いておけば良かったと義母と後悔したわ。
若いころは全然似てなかったと思うけど、年齢を重ねるにつれ、どんどん似てくるみたいです。恐ろしや~(笑)
さとさん、それは惜しいことをしましたね。
私のお雛様も、浜松から東京へ引っ越すときに処分しました。
こう言ってはなんだけど、特に愛着はありませんでした。
お雛様って、子供のころは不気味だったもの。
でも、母には別の思いがあったでしょね。雛人形は祖父(母の父親)が買ってくれたものだから。
母は10代で母親を亡くしているから、嫁入り仕度も、嫁いでからのお祝い事も、みんな祖父がしたんです。
母は6人姉妹だから、祖父はさぞ大変だったと思うわ。
すみません。話がそれました(汗)