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読書中~「転移」~   

先週図書館で借りてきた中島梓の「転移」を、読んでいる。
2009年5月に、すい臓ガンで亡くなった著者の絶筆だ。
すい臓ガンが肝臓に転移したあとの2008年5月から、意識を失う2009年5月までの闘病日記である。

評論家・中島梓は作家・栗本薫でもあったわけだが、実は私はどちらの著書も一冊も読んでいない(自慢にもならないが)
ファンでもなんでもないのに、なぜこの本を図書館で手にしてしまったのだろう。

中島(栗本)さんの執筆スピードは超人的で、一晩で100枚書き上げることもあったという。
作家・評論家の顔の他に、ジャズピアニストとしてライブを行なったり、脚本、作詞、作曲、舞台プロデュースを手がけたり、その多才な活躍には目を見張るばかり。

何事にも自信満々な女性に私には映っていたが、この本を読む限り、傷つきやすく繊細な神経の持ち主であったことも伺い知ることができて、ちょっぴり親近感を持った。
例えば、「団欒恐怖症」による拒食症とかね。
物書きは多かれ少なかれ、屈折した感情を胸に抱いているものかもしれない。

まだ半分も読んではいないが、印象的な言葉は、多々ある。

「ガンにならなかったところで、あと20年、30年、場合によってはあと数年もすれば私は必ず死ぬ。」
「なにもくやむことのない一生。それが60年だったとして、何をおそれたり拒否することがあろう。60年「も」生きてこられたのだ」

60年「も」生きた私は、「あとせいぜい20年か30年」と思うことがよくある。
この先、楽しいことも多々あるだろうが、かといって年々老いていく身には希望に満ちた未来が待っているわけではない。
20年、30年が、たとえ2、3年だったとしても、何を恐れることがあるだろう。
闘病記に、ある意味、励まされているような??

そんなこんなで、もの思う秋の夜長であることよ。

by masayama-chan | 2011-11-14 21:56 | Comments(2)

Commented by としちゃん at 2011-11-15 20:10 x
私は中島梓としての随筆などは読んだことはあったけれど、栗本薫のほうはちょっと敬遠していました。ピアニストでもあったというのは知らなかったわ。死にゆく自分の姿を客観的に見つめて書いたものなのでしょうか。なかなかできるものではありませんね。
若くして(平均よりも)亡くなってしまう人は、そこまでだけで人生が完成しているのだと思うことがあります。彼女は十分に生き抜いた方だったのではないかしら。
Commented by としちゃんへ(マサ) at 2011-11-17 17:47 x
中島梓さんは、雑誌とかで拝見する着物姿が印象的で、ピアノというより三味線や小唄の感じでしたよね。
でも、ピアノは小さいときから習っていて、かなりの腕前だったようです。
ほんとに、フツーの人の何倍も濃い生涯でしたよね。
最期まで、もっと生きたいという思いと、こんなに痛くてつらいならいっそ死んだほうがましという気持ちの間で、揺れていたんじゃないかと思います。

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