命日
2012年 09月 14日
亡くなって4年になる。
昨夜、娘に、「早いもんだね。ついこの間のような気がするけど」と話しかけたら、
「そう?4年って、私には長かったけど」と、言われた。
充実した毎日を過ごす若者と、ぼんやりと日々を送る年寄?とでは、月日の流れが違うのかもしれない。
午前中、花と果物を買って実家へ行き、仏壇に手を合わせた。
遺影。
亡くなる1年ほど前に撮ったもの。
葬儀の様子を写したアルバムを取り出して、2人で見ていたら、
「この喪服、このとき初めて着たんだよ」と母が言う。
ずいぶん前に作った夏用の絽の喪服とのこと。
初めて聞く話だが、夏の葬儀に和装で臨むのは、さすがの母も身内のときくらいか。
「おとうさんが、着させてくれたんだよ」という母の言葉に、ちょっとウルウルした。
うんうん、たまには素敵なことを言うんじゃないの(笑)
「自分が死ねば、無になると思っていた。
でも、自分のことを覚えている人がいたら、完全な無とは言えないのかもしれない。自分のことを知っているすべての人がいなくなったとき、初めて無になったと言えるのではないかしら」
先日、図書館で借りてきて読んだ白石一文の「翼」の中に、こんな一節があった。
(本は返してしまったので、正確ではないけど)
だとしたら、母や私や子供たちが存在する限り、父は無になったわけではないのだろう。
by masayama-chan | 2012-09-14 19:43 | Comments(6)
おうちでみなさんが看病されてお亡くなりになられたのですよね。
優しいお顔のご遺影ですね。いまでもお話されるみたいね。
お母様は夏の絽の喪服だったんですね。
たしかに身内でないとあまり着ないかもしれませんね。
私も亡くなった父のことは、ふとした時に思い出すことがあります。
きっと何年たってもそうなのでしょうね。
お命日は9月でしたか、ウチの父は3月で、亡くなったときには「お彼岸月に亡くなる人は、その人の天寿をまっとうして亡くなるのだから後悔はないはず」なんてわけのわからない慰めを言われたのを覚えていますが・・・。
私も肉体(存在)はなくなっても、脈々とその魂は受け継がれていると確信しています。ウチの娘は祖父(私の父)というものを知らないけれど、私が折に触れいつも語るので父の教えはバトンされていると思っています。故人のことは折に触れ、常に語ってあげることが何よりの供養なんですって。
私の魂も、早死にしたとしても孫に語りつがれるかしら?但し、語るのがウチの娘だというのがどうも・・・なんて言われるかわかりゃしない、脱線しました(汗)
私も、来週はお墓まいりに行ってまいります。
喪服を新調しても、「着てみたい」という気持ちは封印すべきですものね。そういう意味で、「お父さんが着させてくれた」という言葉が出たのでしょう。
としちゃんも、いまだにお父さまのことを思い出すことがあるのね。私も、時々父の声を聞きます。
うちの父の場合は火が消えるように逝ったから、天寿を全うしたと思うの。
そうか、ひょっこりさんのお嬢さんは、おかあさんのお父さんのことを知らないのね。でも、ひょっこりさんの話から、おじい様のイメージは出来上がっていることでしょう~。
うちの父は、上の娘を溺愛していました。なんでも娘の言いなり。「娘が我儘なのは父のせい。ろくでもない人間になるのでは」と腹を立てたこともありましたが、今はちゃんとお母さんをしてますよと伝えたいですね。
お墓は遠いのでお彼岸にお参りにいけそうもありませんが、、心の中でそっと懐かしく思い出すのも供養だと思っています。