「華麗なるギャツビー」
2013年 06月 21日
レオナルド・ディカプリオ主演の「華麗なるギャツビー」を、昨日観てきた。
原作は、F・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」
5度目の映画化だ。
舞台は1920年代のニューヨーク。
上流社会の退廃と狂騒を、3D映像が圧倒的迫力で描き出す。
ゴージャスな室内、華麗なファッション、音楽、ダンス…。クラクラと目が眩む。息もできないほど。
アメリカ文学の最高峰と称される原作のあらすじを今更述べる必要もないでしょうが、城のような館も豪華絢爛なパーティーも、すべてただひとりの女性のため。
彼は、待っている。愛するデイジーが、そこに現れることを。
その昔、銀座の映画館で、ロバート・レッドフォード主演の「華麗なるギャツビー」を観た。
若かった私は、腑に落ちなかった。
大富豪でこんなに美しい男が、なぜデイジーをこれほどまでに愛するのか。
大金を湯水のように使い、狂おしいまでに求めるのか。
女優の迫力不足もあってか、デイジーがギャツビーの想いに値するほどの女性には私には思えなかったのだ。
それが昨日は、ストンと腑に落ちた。
デイジーはそこそこ可愛く魅力的ではあるが、身勝手で軽薄で底の浅い俗物女だ。
そんな皮肉がこの作品の見どころでもあり、だからこそギャツビーの悲劇がいっそう際立つのだと。
レオにとって、タイタニック以来15年ぶりのラブストーリーだという。
美しいレオを見るのは、久しぶりだなぁ。
タイタニックのころと比べると確実に歳をとったけど、その分、甘いマスクに重厚さと渋さが加わった。
実は、映画が始まって日本語吹き替え版ということに、気づいた。ガ~ン。なんてこと!ショック!
字幕版を、ぜひ観に行かなくちゃ。
by masayama-chan | 2013-06-21 15:57 | Comments(2)
私にとってのギャッツビーはやはりレッドフォード様よ。
でもあの頃はまだ若かったので、深いところは何も覚えていないわ。その後、小説でも読んだけれど、イマイチ通じるものがなかったかな。
デカプリオの吹き替えって誰がやっているんだろう?
せっかく映画館まで足を伸ばしたのに、吹き替えではちょっともったいないわね。
それにこうい映画で3Dというのはどうなのかしら?
実は、私、原作を読んでいないの(汗)かつて読もうとはしたけど、途中で投げ出してしまいました。
娘の部屋に村上春樹訳があるのを見つけたので、また挑戦しています。
まださわりだけど、昨日観た映画は原作に忠実です。
格差社会の話でもありますね。上流階級を夢みながらも破滅した男。「陽のあたる場所」しかり、「太陽がいっぱい」しかり。
観終わった後、空虚感を覚えました。