墓じまい
2016年 06月 14日
改葬、いわゆる「墓じまい」のためである。
お墓(墓石)は、50年ほど前に父が建てたものだ。
当時、私たちは浜松市の駅からほど近いところに住んでいた。
お墓の下には、父、父の両親(私の祖父母)、若くして逝った父の妹が眠っている。
私たち家族(父、母、私、弟)が東京に引っ越してから45年も経つが、お墓はずっとそのままだった。
法事やお施餓鬼、お墓まいりなど、ことあるごとに浜松に出向いた。
父や母が元気なころは、それでもよかった。
去年米寿を迎えたころから母は、「お墓をなんとかしたい」としばしば口にするようになった。
浜松まで行くのが、体力的にきつくなってきたからだ。
いやそれ以上に、自分が亡くなったあと子供や孫たちにお墓のことで負担をかけたくないと気持ちが強かったのではないかと思う。
弟には子供がいないので、いずれお墓を守る人がいなくなる。自分の代でお墓の問題に決着をつけなければと、思い悩んでいたようだ。
折も折、母の家のすぐ近くに納骨堂ができた。目と鼻の先だ。我が家からも近い。
母は、迷った末決心した。
「ここに先祖の遺骨を移したい。私もここに入るから。そのほうがお前たちも楽でしょ」という母の言葉に異論があるはずはない。
ということで、昨日の運びとなった。
雨が降る中、骨を取り出した後のお墓の前で、住職に閉眼供養(魂抜き)をしていただいた。
改葬に快く応じてくれたこと、長い間先祖を供養してくれたこと、住職には感謝の気持ちでいっぱいだ。
ここに至るまでには、いろいろあったけど、無事終わってほっとしている。
母も、「これで道筋をつけることができた」と、心底安心した様子だ。
お墓(墓石)は撤去され、更地になる。
「俺が頑張って建てた墓なのに」と、父は草葉の陰で怒っているだろうか。
去年のお施餓鬼で。
by masayama-chan | 2016-06-14 21:17 | Comments(2)
マサさんたちにとっても一安心されたでしょうね。
それでもやはり生まれ育った浜松には望郷の念があると思います。何かの時に訪れることができるといいですね。
改葬は、行政の手続きもあって、思ったより面倒でしたね。
何より、何十年にもわたって供養していただいたお寺の住職に墓じまいを告げるのは、勇気がいりました。
でも、母は一区切りついて安心したようで、私もほっとしました。
母が元気なうちに浜松を訪れることができればいいですね。
母は、「今度は弟のお葬式かしら」なんて言っているの(汗)
母の弟は当然ながら、母よりは若いのだけど(苦笑)