ゴッホとゴーギャン展
2016年 12月 08日
おとといの火曜日(12月6日)、上野の東京都美術館で開催されている
「ゴッホとゴーギャン展」へ行った。
都心にも、冬晴れの青空が広がる。
19世紀末に活躍した2人の巨匠の60点余の作品が展示された館内は、平日にもかかわらず、けっこう混雑していた。
馴染みのある作品もあったが、印象深かったのは、それぞれが最高傑作と自画自賛する「収穫」
ゴッホの「収穫」
ゴーギャンの「ブドウの収穫、人間の悲惨」
ゴッホの「収穫」は明るい色彩の美しい田園風景だが、ゴーギャンの「収穫」は不可解な画だ。前方の幸薄そうな女は何者?
「ブドウ園の風景はアルルで目にしたものだが、そこにブルターニュの女性を配した。実際にないことだが、かまわない」
私にはブドウ園も現実のものには見えないが、目にした世界を描いたゴッホと、目には見えない世界を描いたゴーギャン。
同じテーマの作品を目のあたりにすると、2人の作風の違いが鮮明になる。
南仏アルルでの共同生活や、ゴッホの耳切り事件は有名な話。
わずか2か月の共同生活が破たんすると同時に、2人の関係も破たんしたものだと思っていた。
でも、違った。
アルルでの生活が破たんする前に、ゴッホが描いた「ゴーギャンの椅子」
ゴッホは生涯でゴーギャンの肖像画を一点だけしか描かなかった。
「ゴーギャンの椅子」は、もうひとつのゴーギャンの肖像画なのかもしれない。
ゴッホの死から11年後、タヒチで描いたゴーギャンの「肘掛け椅子のひまわり」
友人に頼んでヨーロッパからひまわりの種を取り寄せ、描いたという。
ゴッホは、ひまわりを好んで描いた。
壮絶な最期を遂げた友人ゴッホへの思いが溢れているような気がして、胸が熱くなった。
いい展覧会だった。
上野の森。いちょうの葉が黄色く色づいていた。
黄色い臭いもした(-_-;)
by masayama-chan | 2016-12-08 20:12 | Comments(2)
私も「ゴッホとゴーギャン展」を見てきましたので、詳しい鑑賞レポートを読ませていただき、ゴッホとゴーギャンの作品みたときの感動を追体験することができました。ゴッホとゴーギャンの絵を比べながら見ていくと、ゴッホの色彩は今描いたばかりで、絵具の匂いがするほどの生々し筆使いを感じますが、それに比べるとゴーギャンの色彩や筆使いは何か渇いたような感じを感じました。
私はゴッホとゴーギャンの共同生活が生み出した成果と共同生活の破たんの原因についてレポートしてみました。 そこからゴッホ絵画の凄さを改めて考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。