四九日法要
2008年 10月 26日
今日は、父の四九日法要。
浜松市にある菩提寺で、営まれた。遠いところ、20人の方がいらして下さった。
母は、家を出る前、遺骨を抱いて家中を歩き回り(歩き回るというほど広くはないが)、
「お父さん、家にいるのは今日で最後ね。」と、父に話しかけたそうだ。
父は晴れ男のはずだが、今日はあいにくの小雨もよう。家を離れてひとりお墓に入るのが寂しくて、泣いていたのかもしれないね。
無事四九日供養を終え、一区切りついた感じ。ホッとしたような、寂しいような。
先祖代々のお墓 母は納骨を終えたあとも、離れがたいようだった。
by masayama-chan | 2008-10-26 23:01 | Comments(8)
お母様もお1人になって、おさみしいことでしょう。
離れがたい様子がよく分かります。
でもマサさんが、近くに住んでいるからいいわね。
といっても、なんでも手を貸すのは、考えものね。先日も銀行に用があるというから、「私が行ってきてあげる」と言ったの。そしたら、「大丈夫。難しいことは頼むかもしれないけど、これは自分でできるから」って断られたわ。人には頼らないぞ、っていう気概も大事かもしれないわね。可愛くないけど(苦笑)
帰りの車の中で、「お墓の中は寒いでしょうね。お父さん、かわいそう」って言ってました。
母の近くにいて話相手にはなってあげられるけど、母の寂しさを代わってあげることは出来ないのよね。仕方のないこと、だけど。
母は、帰りの車の中で、初盆のことを盛んに口にしていました。「7月12日だから、予定しておいてね」って。
初盆が目標というのもヘンだけど、なにかそういう「やるべきこと」があるというのが、大事よね。
千の風ではなく、「お父様のひとつの風」になって、今頃は、〇布上空では・・・。
父が亡くなって、25年経ちましたが、亡くなった日から「父の風」を感じるんですよ。今も・・・だから、良く話しかけちゃいます。
お母様もきっと、今頃、お父様とお話されてるのでは??
マサさんも、ちょっと、頬を澄ませてみてね。
亡くなったあと、さまざな手続きを行なっていく中で、「一人の人間が死ぬのは大変なこと」と思い、それ以上に、「一人の人間が生きてきた軌跡はすごいこと」と感じています。たくさんの人の心に中にずっと生き続けるんですものね。「死後の来世」とは、そういうことだと思うんですよ、このごろ。